東京彫金について
東京彫金とは
古墳時代を起源としている彫金の技術は、初期に毛彫りや透彫りが用いられ、冠帽・指輪・箸などの装身具等の精巧な技術をみることができます。
その後、格式を重んじる"家彫"が主流を占め、江戸元禄期には、自由な発想と新しいデザインの"町彫り"が現れ煙管・根付など生活用品に広がりを見せました。
この生活用品への広がりは明治以降も続きますが、生活様式の変化に伴い、額・花瓶・置物などの器物から現在ではブローチ・ペンダントなどの装身具へと主流が変化していきました。
その「彫金」という大きな括りの中で、東京都が昭和56年(1981年)に制定した「東京都伝統工芸品産業振興対策要綱」に基づき、
指定団体「日本彫金会」会員により制作される彫金作品のことを「東京彫金」としています。
日本彫金会とは(年表)
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- 明治34年(1901年)
- 日本金工協会設立
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- 大正10年(1921年)
- 日本金工協会が彫金会、鍛金協会、鋳金会に分かれる
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- 昭和9年(1934年)
- 彫金会を日本彫金会と改称する
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- 昭和13年(1938年)
- 七七禁止令により彫金、鍛金、仕上師の三者をふくめて日本彫金会に統合、初代会長に清水亀蔵、委員長に海野清が就任する
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- 昭和35年(1960年)
- 諸般の事情により解散
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- 昭和38年(1963年)
- 旧会員有志により、彫金親交会を発足
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- 昭和48年(1963年)
- 日本彫金会として再興。現在に至る
小川真之助の伝統工芸としての「彫金」とは
伝統工芸についてですが、現在一切金属を彫らずにワックスを加工するのみで型をつくり、鋳造したものを彫金と称する人が非常におおくなってきています。前述のように彫金とはあくまでも、金属を彫るものです。私は新しい技術、工具、デザイン等は積極的にとりいれるべきだと考えます。しかし、金属を彫らないものを私は彫金とは呼びません。ワックスを加工したものと、「タガネ」で金属を彫ったものでは繊細さがちがいます。長い年月をかけて築き上げた確かな技術と表現力、それが伝統工芸なのです。