小川真之助について
人が作るということ、手で彫るということを
祖父も父も彫金家という家に生まれ育った。
遊び場といえば仕事場。
常に繊細で"ていねい"な仕事を心がけてきた。
機械で極限まで精密な工作ができる時代だからこそ、
手にしかできない仕事を大切にしたい。
人にしかできない彫金を。
三代目 小川真之助
1967年生
22歳より本格的に彫金をはじめる
師匠: 小川健次郎(父)
現在 日本彫金会会長
元東京都伝統工芸品産業団体青年会会長
東京在住
主な経歴
- 1967年
- 東京に生まれる
- 1990年
- 祖父英鳳(日展審査員)、父健次郎より美術工芸・彫金を本格的に学ぶ
- 2002年
- 東京都伝統工芸品産業振興に寄与したとして知事より感謝状を受ける
- 2007年
- 東京都伝統工芸士に認定される
先代:小川健次郎
- 1929年
- 東京に生まれる 父英鳳(日展審査員)に美術工芸・彫金を学ぶ
- 1954年
- 日展入選 以後四回入選
- 1980年
- 日本伝統工芸展入選 以後二回入選
- 1981年
- 伝統工芸日本金工展入選 以後六回入選
- 1992年
- 東京都伝統工芸士に認定される
- 1998年
- 東京都伝統工芸品産業功労者として知事より感謝状を受ける
- 2001年
- 東京都功労者として知事より表彰される
- 2012年
- 没
元日本彫金会会長
小川健次郎による作品
鉄地金銀象眼木萩紋小筥
鉄で箱を作り、葉を銀で花を金でそれぞれ象眼
箱の内側は紫檀がはってあります
サイズ:19×9.0×7.5(cm)
色金象嵌鳥水滴
「赤銅」と「四分一」をはぎあわせて形作り、
模様を「ケシ象嵌」し、「色上げ」して制作。
サイズ:高さ100(mm)
※色金(いろがね):日本独自の合金。金、銀、銅からなる。古くは装剣具(刀のつば)や目抜き等にもちいられ、独特の美しい輝きをもつ。おもなものに四分一、赤銅、がある。また真鍮や銅単体、十八金も色金に区分される。
※四分一(しぶいち):おぼろ銀とも称される。おもに銅と銀からなり、全体の4分の1が銀なことがこの名の由来。若干の金をまぜることにより、冴えわたる色となる。割合の増減により、発色がちがい、黒四分一(くろしぶいち)、白四分一(しろしぶいち)等のように区分される。銀の割合が多くなるほど、白っぽくなるのが特徴。
銅 秋草茶托
五客組
左の画像は撫子です。
こちら
サイズ:直径四寸
「萩」銅板肉彫額
銅板に打ち出し肉彫がほどこしてある。作品自体がおおきいので、それにあわせた大型のヤニ板、タガネを用意した。仕上げは硫化カリによる黒色をベースに、研磨をかけることにより濃淡を表現してある。
若い頃の作品で、1960年製。非売品
サイズ:1.26×0.95(m)
先々代:小川英鳳
- 1896年 生
- 帝・文展入選 十回
- 1942年 文展 特選
- 1943年より文展 無鑑査
- 日展入選 五回
- 1951年より日展依嘱
- 1954年 金銅彫金鉢 日本藝術院所蔵
- 1954年 日展審査員
- 1954年 文部省買上
- 日本美術協会 銀賞二回及銅賞
- 奉讃展出品 久邇宮家御買上
- 商工省展 受賞 商工省買上
- 1990年 没
- 元日展会員
- 元日本彫金会会長